その3編 ベトナム ハノイからフエまでのバス陸路の旅

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その3編 ベトナムにも2~3回訪問しました。今回はハノイからバスでフエまでの旅行記です。

ベトナム ハノイ編 ハノイは暑いぞ

ベトナムのハノイはサムイ島に比べるとやや暑い。ベトナム人は、タイ人ほどには温かみがないような?笑みが少ない。(同じベトナム人でも、ハノイ人とホ-チミン人ともかなり違う印象、ホ-チミン人は、社会主義の影響が少ないようで、悪く言えばガッガツしている、ハノイ人はプライドが高そう、武士は食わねど高楊枝?)。タイほどには観光客も多く無いので、そういうものかも。ホテルは繁華街の一角にとる。ホテル?ゲストハウスかも。タイで取ったホテルほどには部屋の広さは無い。ホテル代で比較すると、やや高い。(いつも宿泊代の範囲は決めているので、だいたい同じ料金の範囲でしか選べないのだ)。ここは共産主義の専制国家、タイのように自由に行動するのは控えないと。公安がホテルの宿泊客もチェツクしているとか?おいらのような平凡な旅行客をチェツクなんてしてないか😁。しばらくハノイ市内をうろうろしていた。ハノイから割合近くにある、ハロン湾の日帰りのツア-を予約する。ツア-では日帰りと一泊のツア-があるようだが、おいらはケチって日帰り。

出発場所はホテルの近く、早朝出発である。ハノイから近いとはいえど、結構な距離があるようで早朝に出発しないと日帰り出来ないようだ。

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早朝のハノイは、ポリさんが道路の十字路という十字路に立っている。凄い数である。事故や事件が起きたわけでは無いのに、交通警備のために、こんなに沢山のポリさんが出動しているとは驚いた。そんな街を車は通って、えんえんと走って、ハロン湾からの船の出発の港に着く。30歳前後の日本人の娘を見かける。ちょつとだけ会話。乗船すると今度は対面に韓国人のカップル。娘の方が平気でプカプカ喫煙。体に悪いよ!と嫌味の挨拶。余り大きな船ではないが、数十人くらいは同乗しているかな。

ハロン湾の奇岩は石灰石の塊。これは中国まで続いているとか。景観は素晴らしいが、その光景に慣れてくるとなんとも。しばらく船が走ると港に、「ティエンクン鍾乳洞」とかいうようだ。けっこう急な階段を登り降り。

 

こんな感じの鍾乳洞を見学。予備知識も無いので、あら綺麗という感想だけ。ハノイに戻る頃はすっかり夕方。帰り道でデンソ-の工場らしき建物が見えた。面白かったのはベトナムの家。まだ新しい家のようだが、見栄えがいいようにか、表側だけ板で装うような造り。板の裏側から見るとなんとも、ハリポテ風の家が沢山見えたことだ。ありゃなんだ?😁ベトナム人は、かなりミエハル君のようだ、いい勉強になった。

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ベトナムには以前一度来たことがあるがホ-チミン周辺を徘徊しただけで帰国してしまった。今回はハノイから陸路でホ-チミンまで行ってやろうと思ったのだが、残念ながら陸路でフエまでは行ったのだが、旅が余り長いので、疲れとあいまってホ-ムシックというか帰国したくなってしまって、フエから帰国となってしまった。機会があれば、フエから再度ホ-チミンまで陸路での旅をしてみたいと思うのだが、そんな機会は無いかな?汽車旅行で行くのもいいかなっと思っのだが、ハノイからだと、ホ-チミンまで2日くらいかかるとか?疲れで倒れるな😁。

ハノイ周辺を例のごとくぶらぶらしてたのだが、ベトナム人は冷たいような?いつもの如くここハノイでも宿泊場所から近いマッサ-ジ屋にも行ったのだが、余り話しかけてこない。というよりやはりタイのマッサ-ジ屋に比べると下手だ。これなら、おいらは、ほぼ何百回もマッサ-ジを受けているので、マッサ-ジのツボはほぼ覚えているので、おいらの方がよっぽど上手いよ、と嘆きながら受ける。マッサ-ジというのは自分でしても余り気持ちのいいものでも無いので😁。ハノイの周辺もほぼブラブラし尽くしたような。ぼつぼつハノイは離れようと決める。宿泊場所のゲストハウス近くからの夜出発のバスに乗り込み、フエに向かって出発。フエに着いたのは翌日朝。地図で見てもかなりの距離だったというのは後に知る😁。

気軽に考えていたが、これまた結構な長いバスの旅であった。

フエいわずと知れた世界遺産の観光地だ。ただ惜しむらくは、ベトナム戦争でかなり荒廃してしまったようだ。ベトナム戦争といっても今の世代の人には余り知識が無いと思うが、米国軍が戦後初めてとも言うべき恥辱の敗戦の戦争。ベトナムも勝利したとはいえど国中が焼土と化した。ベトナムが勝利したというより、米国民が余りの長い戦争に辟易してしまって厭戦状態となって自ら崩れたというのが正しいのかも。(日本でも当時、ベ平連とかいう反戦組織がベトナム戦争反対とか結構騒がしかった。「何でも見てやろう!」とかの本で有名な小田実とかの名前を思い出す。ベトナム戦争の枯葉剤の後遺症は、今もなお続いているというから、忘れてはいけない戦争の恐ろしさ。米国が負けたのは、ベトナム戦争そのものに米国の正義というか戦争の大きな大義が無かったのも米国が厭戦気分に陥った理由かな)。

バスがフエに到着したバス停のすぐ近くに、長時間のバス旅行に疲れていたのでホテルの部屋を取る。同じホテルに日本人の3人のおばちゃんグル-プをみつける。なんでも航空券のリコンファ-ムかチケットを取りたいというのだが....あんまり英語が出来ないようで困っている様子。簡単な英語も出来ずに、ガイドも連れずにこんな所に来るなよ!と言いたいところだったが、ホテル内に、航空会社の代理店が有ると教えてやる。おいらはなんで、こんなに優しいのだ。😁そのくらい当たり前か。

😁

フエの市街の横に大きな川がある。川沿いを散策してたら無理やりベトナム人おばちゃんに懇願されて、エンジンボ-トをチャ-タ-させられた。川の中からの観光より、川岸の散策のほうがいいのにな~(泣)

翌日からツア-を申し込んで周辺の世界遺産の見学。ベトナム戦争の影というか、廃墟の匂いがしない訳でもなかった。ツア-の道中、子供の乞食を目にした。同行のツア-客のベトナム人の青年が、おいらが乞食に金出さないのを見て、自分は出さないのにおいらにつっかかるように、何で金出さないのだ!と言う。貧乏人の日本人でもベトナム人には金持ちと見えるのか?

おいらは原則、乞食には金出さないと決めている。(いや、一度だけ、バンコクの繁華街で、生ゴミあさりしてた見すぼらしいタイ人のオバちゃん見てしまって、つい300円くらい出して、これで飯でも食え!とかやっちゃつたな。おいらも全くの氷の心の人間でも無いぞ、家で酒飲んでる親が、子供に酒代稼ぐための乞食やらしてるようなのには嫌だけ😁インドでは下手に金出すと、近くの無心者が群れて来て、もみくちゃにされて全部持っていかれちゃうとか?物だけならいいが怪我したら大変だ、今でもそうかな?)観光客は、争わず、目だたづ、貧しそうにしてないと、どんな災難がやってくるか分からないぞ😁。

3~4日、フエで観光地を巡っていたが、長旅のせいか疲れた。思えば1ヶ月くらいフラフラあっちこっち旅してる。今まででも、10日過ぎる頃から疲れが出てくる。普段車ばかり乗っているので体力が無いのかも?レントゲン写真で肺が真っ黒なので、医者も無理しないように!とか言われてもいるので、余り体力も無いようだ。そして2週間過ぎる頃から、疲れと相まって日本に戻りたくなる。ボロ屋でも、我が家に帰りたくなる😁。そして、そんな心境になってくると、段々旅の喜びも薄れてくる。それじゃ旅してる意味が無い。

というわけで、ぼつぼつ体力と精神力の限界と悟り、急遽エア-でバンコクに戻り、バンコクからすぐ日本に帰国する。安いオ-プンチケットで😁。我が家に戻った時は、やれやれ。やはり旅は、余り長くするものでも無いようだ。せいぜい2~3週間くらいが楽しみの限度のようだ、おいらには。

************終わり************

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↑カップルの韓国人と船内

↓ 船からこんな風景観ながら

港に到着

鍾乳洞見学のために停泊した船着き場

ハノイへの帰路

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